『猫の妙術』・・・江戸中期、一般向けに刊行された啓蒙書『田舎荘子』の一節で、山岡鉄舟が愛読したと言われている。

勝軒という剣術家の屋敷に起こった鼠退治の物語である。勝軒は手強い鼠を退治するため、強そうな猫を集めて部屋に入れていく。飼い猫、黒猫、虎猫、灰猫、いずれも刃が立たない。最後に古猫がのろのろと鼠のそばへ歩み寄り、難なく鼠をくわえて戻って来た。その古猫が、若い猫たちに教え諭す。

黒猫:単なる技くらべだ。技が尽きればどうにもならない。
虎猫:相手に強引に勝とうとすれば、相手も負けじとかかってくる。勢いだけでは勝てるものではない。
灰猫:和をなそうとした和は不自然である。気配は察知される。

そして古猫は、無心であることの大切さを説いた。ただ、道には極まるところはないとし、自分が目標とする猫を紹介する。
その猫は、1日中眠っていて気勢もなく、まるで木で作った猫のようだという。しかし近辺に鼠は1匹もいない。猫は、己を忘れ、ものを忘れ、無物に帰している。心だけではなく体(たい)も無となり、存在自体が超自然体となっているのだ。
また、古猫は勝軒に、「我がなければ敵もあるまい。己の心に象(かたち)がなければ、当然、対するものもなく、争うこともない。」と諭した。
「猫の妙術」の面白いところは、最後の猫に形容する言葉がついていないことである。要するに無名であり、名もいらぬという境地に達した猫ということだ。

この古典から学ぶことは多い。現代剣道はもちろん、日常生活においても生かすことができるのではないだろうか。
ちなみに私は、なりきれていない灰猫であると、勝手に思い込んでいる・・・↓。

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