せぬ隙

「せぬ所と申すは、その隙(ひま)なり。このせぬ隙はなんとて面白きぞと見る所、是は、油断なく心をつなぐ性根(しょうね)也。舞を舞い止む隙、音曲を謡い止む所、そのほか、言葉・物まね・あらゆる品々の隙々に、心捨てずして、用心を持つ内心也。この内心の感、外に匂ひて面白きなり」(世阿弥「花鏡」1424)

稽古日誌に「技をしっかり繋ぎたい」とあった。技の休止部をどのような心持ちで繋ぐか、という問題だと思う。実は剣道の面白さと難しさはここにある。立合が始まってから技が出るまでの「間」は大変面白く、これは、能や歌舞伎などの芸道と根源的に一致するものがある。世阿弥はこの「間」を「せぬ隙」といい、役者の静止した状態を大切にしている。「間」は、書や水墨画であれば、余白であり、作品の良し悪しを決める重要な要素となる。この「間」を支えるのは心だが、その必死な心を表に出してはいけない。私たちの心が海であるならば、海面と海底に、2つの心が存在する。「間」の面白さ(美しさ)を作るのは、後者の心である。嵐の中、激しく海が荒れようとも、海底は静寂であり、この心に完全に到達することを禅の世界では悟りと呼ぶ。一生稽古しても表現できる領域ではないのかもしれないが、努力したい。






0コメント

  • 1000 / 1000