④弓と禅の一考察(無心)
5【自己自身からの離脱】p61~72
「時が熟すまでお待ちなさい。」
師範の言葉に確信を持てないまま、繰り返される稽古…。
弓を引き、一杯に引き絞って満を持し、射放す
正しい“放れ”を身につけるためには、
身体の力を抜いた状態から、
さらに心や精神の力を抜かなければなりません。
単に精神を動的にするのではなく、これを自由にするために。
無心について、筆者の表現を自分なりに理解し、自分の言葉で説明しようと試みましたが、無理でした。
筆者が体験したことを、緻密で具体的に、高度な表現で表わしているからだと思います。
私は感覚的には理解できますが、それを表現する術を持っていません。
無我の境地に至る道筋についての説明は諦めましたが、
その境地(命名すべき名も無いその根源の全能境に立つこと)に達するための、
“順序”に着目しました。
いわゆる礼法です。
かたわらに、片ひざをついて座りながら自己集中し、厳かな歩調で標的に向かい
〜中略〜
それ以上射る必要のない場合には、落ち着いて後方に退く。
礼法は、無心の境地に達するために必要不可欠であると筆者は言います。
なるほど。
武道における礼法について、
考え方を改める必要があると、強く思いました。
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