名人伝

「名人伝」とは、中島敦の短編小説です。

趙の都・邯鄲に住む紀昌が、天下第一の弓の名人になろうと志を立て、その名手・飛衛、次いで仙人・甘蠅に師事し、14年の修業の後、「不射の射」を体得します。都に戻った紀昌は、木偶のごとく愚者のごとき風貌で、全く弓を引こうとしませんでしたが、「至為は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなし」と告げると、都の人々はすぐに合点し、弓の名人として称えました。晩年、甘蠅が弓の名や使い方を忘れると、邯鄲の都では、画家は絵筆を隠し、楽人は弦を断ち、工匠は定規などを手にすることを恥じたそうです。

修業前期、天下第一の名人になるには師を除かねばならぬと、その命を狙った紀昌ですが、修業後期には荒々しい野心が消え、無刀の境地に達します。そして晩年、弓さえ忘れた名人ですが、全盛期以上の圧倒的な影響力を持ちます。

「名人伝」は多くの示唆を与えてくれますが、沢庵の「不動智神妙録」をもとに、“心の置き所”について考えます。

道場では調子が良いのに、試合になると調子が悪くなる人が多くいます。
“打ちたい”“負けたくない”“恐い”など、平常心を失うためです。
打ちたいと思えば、自分の心に心が留まり、負けたくないと思えば、相手の竹刀に心が留まり、恐いと思えば、実体の無いものに心が留まります。心の停滞は体の自由を奪います。
壮絶な修業を積み、こうした無数の“心の停滞”を一つ一つ克服した紀昌を最後の最後まで苦しめたものは、“弓の存在”だったのではないでしょうか。弓を持つ度、引こうとする度に、それ自体に心が留まるのです。

頭を掻くとき、いちいち指の爪で頭皮を掻こうとは思いません。無意識に近い感覚でその動作を反射的に行います。人は自分の体の外に有るものは意識しますが、自分の体の名称や役割について、行動前にいちいち確認はしません。しかし“常に機能”しています。紀昌は弓をただ忘れたのではなく、自身の体に同化後、忘れたのです。風に揺れる木々全体を“自然”と呼ぶように、忘れるというのは無意識という意味です。そして“使えた”のではないかと思います。都の人々を守るなど、その力が必要な時には無心で弓を引くことができたはずです。

水は隅々まで柔軟性を持って流れます。川は山から海へ、そして地球上で循環します。人の体には無数の血管があり、血液が流れています。流れが止まることはありません。心はどうでしょうか。ある一点に留まれば、全体の流れが止まってしまいます。
血液や川の流れと同じく、“置き所を持たぬ心”を持つことが大事なのです。


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